顔真卿書道行書『送劉太沖叙』は大暦7年(772年)、拓本。序文35.6×16.5センチです。22行、計159字です。浙江省博物館蔵南宋留元剛『忠義堂帖』本。真跡著録は宋米劉太沖は顔真卿天宝末年平原の旧友で、広徳元年吏部は吏に属し、宣城陳留人蕭穎士の子弟、劉太真の兄である。米この序文の末尾には字が欠けていて、当時の真跡が損なわれていたことがわかります。『忠義堂帖』の最初に欠けた「劉太沖者彭」の5字は、朱筆小字で補い、序末にも朱筆の6行があり、いずれも清人の孫承沢の手筆である。
顔真卿書道行書『送劉太沖叙』は大暦7年(772年)、拓本。序文35.6×16.5センチです。22行、計159字です。浙江省博物館蔵南宋留元剛『忠義堂帖』本。真跡著録は宋米劉太沖は顔真卿天宝末年平原の旧友で、広徳元年吏部は吏に属し、宣城陳留人蕭穎士の子弟、劉太真の兄である。米この序文の末尾には字が欠けていて、当時の真跡が損なわれていたことがわかります。『忠義堂帖』の最初に欠けた「劉太沖者彭」の5字は、朱筆小字で補い、序末にも朱筆の6行があり、いずれも清人の孫承沢の手筆である。