嶺南第一才子宋湘書道作品鑑賞
宋湘字煥襄、号芷湾、嘉応州(現在の広東梅県)人。清代中葉の有名な詩人、書家、政声廉明の清官。貧しい出身で、家庭の影響を受けて勤勉に勉強し、若い頃から詩や楹聯の創作に頭角を現し、「嶺南第一才子」と呼ばれた。『清史稿?列伝』では「広東詩は湘のみが巨」と呼ばれている。
乾隆四十三年(1778)秀才に合格し、乾隆51年(1786)中解元、嘉慶4年(1799)中進士、改翰林院庶吉士、嘉慶五年(1800)帰郷、主講恵州豊湖書院、嘉慶十年(1805)授翰林院編修;嘉慶十二年(1807)欽点丁卯科四川郷試正考官;嘉慶十三年(1808)戊辰貴州郷試験正試験官に就任した。その後、嘉慶十八年までの間、文淵閣校理、咸安宮総裁、国史館総改ざん、文穎館総改ざん、庶吉士教習などを歴任した。嘉慶十八年(1813年)五十八歳から、雲南省曲靖府、広南府、永昌府、大理府、莫南府などの諸府の大守に就任し、曲がりくねった西、曲がりくねった南篆事を領した。清道光五年(1825)七十歳、湖北督糧道に移った。道光六年(1826)七十一歳で武漢湖北観察署に死去した。
宋湘の書道は章法が磊落で、筆致がスマートだ。宋湘の字を書く道具は毛筆のほかに、竹の葉、サトウキビのかすはすべてペンに縛って、勝手に振り回すことができます。丘逢甲はその書道を「竹の葉のサトウキビのかすはみな妙筆だ」と言った。宋湘の書画作品は梅州の客家人に大きな影響を及ぼし、宋湘以降、客家人の書画界での地位を変えたと言える。
清の「国史」は清代の120人の書画家を評定し、宋湘もその一人にいた。
黄偉経編集長の「客家名人録」と「詩人微略」、「清朝書画家筆録」には書道が記載されている。中国書道家協会副主席、広東省書道家協会主席、中大教授の陳永正氏が編著した「嶺南書道史」では、宋湘氏を嶺南清中葉四大書家の一人と推賞した。