馬一浮(1882-1967)、浙江紹興人。原名浮、又字一仏、幼名福田、号湛翁、被揭、晩号幼習経史は、16歳で県の試験に応じて1位になった。一八九九年に上海に行って英、法、ラテン語を勉強した。一九〇一年馬君武、謝無量と『翻訳世界』を共催した。一九〇三年に北米に留学し、西欧文学を学び、『ヨーロッパ文学四史』などの著作を予撰したことがある。その後、ドイツを遊学した。帰国時にドイツ語版マルクスの「資本論」に持ち帰った。やがて日本に留学し、西洋哲学を研究する。一九二年に帰国し、孫中山が指導した辛亥革命に賛成し、よく西洋の進歩思想を宣伝した。後潜心考拠、義理の学、古代哲学、仏学、文学などを研究する。抗日戦争が勃発した後、竺可桢の招聘に応じ、浙江大学の教授を務め、江西、広西に行って講義した。一九三九年夏、四川で「復性書院」を設立し、院長兼主講を務めた。抗戦に勝利して杭に帰る。一九五三年浙江文史館の館長を務めた。一九六四年に中央文史館の副館長を務めた。第2、第3期全国政協委員会の特別招請代表である。精詩詞、書道は胸羅万有のため、書巻の気は行間にあふれ、山林の気が多く、篆刻は漢印を尊ぶ。生涯にわたって宏富を著述し、「儒、釈、哲一代の宗師」と呼ばれ、主に「泰和会語」、「宜山会語」、「復性書院講録」、「爾雅台答問」、「爾雅台答問続編」、「朱子読書法」、「老子道徳経注」、。