中国古代書道の真跡:名臣胡林翼信札鑑賞(計5枚の写真)

名臣胡林翼信札鑑賞

胡林翼(1812-1861)、字道光進士。一八四六年に知府で貴州省に配布され、安順、鎮遠、黎平知府と貴東道を歴任した。苗民蜂起と湖南李沅発蜂起を鎮圧したことがある。太平天国鎮圧の戦いの中で、湖北巡撫に昇進し、曽国藩を全力で支持した。胡林翼は文武両全で、官吏が清廉で、詩文ができ、書道が上手で、蒋介石は特にその軍事才能を崇拝し、曾国藩の治軍用兵の道と合わせて「曾胡兵法」を編成し、黄浦軍学校の学生の教材とした。毛沢東は若い頃も十_胡林翼に感心した文韬武略と官職の道を分け、自分の字を「潤之」に変えた。辛階系労崇光(1802-1867)の字で、湖南善化(現在は長沙)人。道光は進士し、平陽、太原知府などを歴任し、湖北、広西布政使を移転した。咸豊元年(1851)署広西巡撫、後に広東巡撫兼署両広総督に転任し、太平軍を鎮圧した。同治二年(1863)に雲貴総督を授かり、雲南回民蜂起と貴州苗民蜂起を鎮圧した。

辛階は胡林翼より10歳年上で、当時は職務が高かったため、胡林翼は手紙を書く際に「辛階先輩閣下」と述べた。手紙の中で話しているのは主に軍事だ。胡はこの手紙を書いた時すでに「歴権三郡」で、安順、鎮遠知府を歴任した後、黎平知府に転任した時、手紙には「7月から黎平まで今まで2ヶ月になった」という言葉があった。手紙には、農民蜂起に対処するために団練保甲と黎平苗民蜂起を鎮圧したことも書かれている。これによって、この千言に近い手紙の史料的価値が明らかになった。
名臣胡林翼信札鑑賞
胡林翼致辛階手札

名臣胡林翼信札鑑賞

名臣胡林翼信札鑑賞

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