明の大才子解缙行書書道墨跡鑑賞『跋趙孟p>
解缙(1369-1415)、字大紳、一字缙紳、号春雨、喜易、明朝吉水人、洪武二十一年(1388年)中進士、官至内閣首輔、右春坊大学士、機務参予。解缙は才高好直言で忌み嫌われ、しばしば罷免され、結局「無人臣礼」で投獄され、永楽十三年(1415年)冬に雪の山に埋め込まれ凍死した。解缙は幼い頃から穎悟絶人で、その上品さは奇古で、詩豪宕豊扶、書小楷は精絶で、行、草はすべて優れていて、筆の精妙さで、意外にも、その草書は晩明狂草の先河を開いた。徐渭、楊慎とともに明の三大才子と呼ばれ、『解学士集』、『天装飾玉牒』などを著している。『永楽大典』の編纂を主宰する。