明末政治家、軍事家史可法信札手跡鑑賞
史可法(1601-1645)、字憲之、号道臨。河南祥符(開封)人。崇禎元年(1628)に進士し、西安推官に就任した。福王の時、兵部尚書などを務めたが、彼は顔が下品で、体つきが短かったが、幼い頃から聡明で、奇才があった。東林党人左光斗に師事する。後清兵は城を破って、彼は自殺して死なず、副将に自分を殺して、袍笏で城外の梅花嶺に葬られた。南明朝廷は忠靖を列挙した。清高宗は忠正を追えた。その後、著作を受け取り、『史忠正公集』
に編集された。
この2つの手紙の内容はいずれも友人に詩文のことを尋ねた。その書道の贈益の札は豪快で雄強で、筆勢が奔騰し、結体が大きく、奇堀の気流が字の行間に見える。もう一つの札は丁寧に書かれていて,清らかな雰囲気が漂っている。両札の書道の風格の対比は強烈で、書いた時の心境と与えられた対象が異なるはずだ。史司法の書道は珍しく、書名ではないが、その字も卓然として立派で、黄道同、倪元璐の世代と同じ一流の人物に属している。